きな粉は香ばし食せよ乙女

NEWSさんと食が栄養

天に捧げるラブソング

音楽は、感情を表現する最も優れたツールである。だからこそ、卒業式・結婚式では歌を歌う。


ありがとう。大好き。どうか、幸せに。



想いは旋律に乗って、心に染み込む。
想いは歌に合わせて、疑いなく伝わる。



小山さんも恐らくそうだ。
おこがましいが、私にも同じような経験がある。


ここからはあくまでも個人的な解釈であることはご容赦いただきたい。



中学の時に、飼っていた猫が亡くなった。
目を開けたまま畳の上で横たわっていたあの姿を忘れることはない。あんなにも死というものは孤独なのだろうか。

その日は、一年に一回、最初で最後の集大成を見せる吹奏楽コンクール当日。吹奏楽部員である私にとって、この上ない大切な日だ。誰よりも早起きをしたため、私は変わり果てた猫の姿の第一発見者だった。

私は、猫から逃げたかのように見なかった振りをした。涙も見せることなく。
冷たい奴だ。
あまりにも突然の事で、頭では理解していても感情が追いつかなかったのだろう。家族が起きてきても、私は知らなかったかのように振舞った。何故そのような行動をしたのか意味がわからない。皆が泣いているのを見ても、涙は出てこなかった。

コンクールの出発時間が迫り、想いを消化出来ないまま足早に家を出た。


本番直前。
コンクール会場の舞台、輝かしいスポットライト、暗闇に顔を隠す審査員、緊張した部員の息遣い。


第一音。
私はこの時、天に向けて息を届けた。他の誰でもない、愛猫に向けて。
今まで自分たちが自分たちの作品のために今日ここまで練習を重ね、苦労してきたことなど、十分すぎるほどわかっていた。でも、今日だけは君に聴かせたかった。


今までありがとう。
何も出来ないままお別れしてごめんね。



どうか、この想いが音に乗って天まで届きますように。

それが、私にできた最大の供養であり、感謝だったのだ。





小山さんも、何もできなかったニャン太に想いを伝えるため、今回のソロに至ったのではないだろうか。ニャン太に「ごめんね、ありがとう」と優しく語りかける小山さんの声が聴こえてくるようである。

言いたかった、でも言えなかった。そんなもどかしい想いをソロ曲に乗せた。そこに含まれているのは小山さん自身への慰め、そして誰よりもニャン太への語りかけ。ニャン太はNEWSファンにも周知の存在であったため、ソロにすることで私たちもニャン太に少なからず想いを馳せることができるだろう。

こんなにも沢山の想いを、愛を伝えられたニャン太は幸せに笑っているのではないだろうか。小山さんが家族であったことを嬉しく思っているはず。



ライブで小山さんがこの歌を捧げる時、私もきっと一緒になって空に想いを馳せる。これはニャン太と小山さんの絆であり、1人1人の「私」にとって大切な誰かに贈るラブソングであるのだから。